東根市の歴史

市の沿革などについて紹介します。

■市制施行日
昭和33年11月3日


■市名の由来
 大昔、村山盆地の真ん中に「藻が湖(もがうみ)」という大きな湖があり、この湖の東に連なる奥羽山脈の麓に最も早く拓けたところを東根と呼び、この地名が付けられたといわれています。
 なお、東根城を築いた平長義(小田島長義)が正平11年(1356)に寄進した普光寺の梵鐘に「東根境致」とあり、初めての金石銘文として残っています。

■沿  革
  東根市の歴史は古く、大昔の縄文時代の遺跡が数多く発見されています。
 東根の名が、初めて記録にみえるのは、観応3年(1352)の足利尊氏文書で、「出羽国小田島荘東根孫五郎跡」を鎌倉宝戒寺に寄進したことが記されております。今から600年以上も前から、この地が東根と呼ばれていたことがわかります。
  平安時代には、東根の北西部の低湿地が開拓され、条里水田がひらかれました。新たに、この地方に村山郡が新設され、市内郡山に郡衙(郡役所)がおかれ、政治上の中心地となりました。
 その後、まもなく東北地方では記録のうえで最も古い小田島荘が成立し、南北朝時代には、鎌倉からきたと伝えられる地頭小田島長義が、この地を支配し南朝方の武将として勢力をふるいました。東根小学校校庭の日本一の大ケヤキは、長義が本城を築くとき、すでに天空を覆うばかりの大木としてそびえていたと伝えられています。また近くの龍興寺沼のほとりには、正平11年(1356)長義が寄進した県内で二番目に古い梵鐘が鐘楼上に吊されています。
 戦国時代には、坂本氏、次いで里見氏が支配し、里見氏(東根氏)は広大な東根城の整備に力をそそぎ、東根の町の基礎を築きました。しかし、元和8年(1622)に、最上家の改易に伴い東根氏も阿波徳島藩に預けられました。その後山形藩領主がしばしば変わっています。このころ、東根は、秋田街道が整備され参勤交代によって江戸の文化が直接入り、紅花、たばこ等の換金作物の生産も盛んで、先進的な気風のある土地に発展しました。
  また、東根は県内最大の乱川扇状地にあり、中央部は水利の便が悪く開発されたのは比較的新しく、現在のように見事な果樹地帯に生まれかわったのは近代に入ってからです。
 明治22年町村制施行により、東根村、東郷村、高崎村、大富村、小田島村、長瀞村の6カ村が成立し、同29年には東根村が東根町となっています。そして昭和29年には、これらの町村が合併し東根町となり、同33年に市制を施行しました。
  東根市は、このように古くより政治、経済上の中心地として、また交通の要衝として発展してきました。現在は、さくらんぼ、りんご等山形県有数の果樹産地となっているほか、大森工業団地にはハイテク産業などが集積し、また空の玄関山形空港の所在地として発展を続けています。さらには、土地区画整理による新都心の形成や山形新幹線延伸に伴うさくらんぼ東根駅の開業、そして東北中央自動車道の開通など、高速交通網の拠点都市として、これからも飛躍的な発展が期待されています。